探偵物語 表札

今年は、俳優松田優作没後30年。

平成元年(1989年)11月6日、松田優作氏は40歳の若さで亡くなりました。

そして、彼の出演作品の中で特に人気が高いのがドラマ『探偵物語』。

『探偵物語』は優作氏が亡くなる、ちょうど10年前1979年の作品です。

つまり本年、令和元年(2019年)は優作氏没後30年であると同時に、『探偵物語』放送40周年の年ということになります。

弊社KEN探偵事務所・所長はこの『探偵物語』の大ファンであり、探偵になるにあたって多大な影響を受けました。

今回は松田優作氏没後30周年と『探偵物語』放送40周年を記念し、KEN探偵事務所・所長の『探偵物語』にまつわるのエピソードお紹介します。

※この記事は所長の記憶が蘇る度に追記されます。

探偵物語~事務所のロケ地

工藤探偵事務所の前

黒スーツとソフト帽に、派手なカラーシャツとカラーネクタイで身を固めた私立探偵工藤俊作のファッション。

しょっちゅう黒煙を吹いては故障する、愛車スクーターベスパ。

ガスバーナーのように炎全開のライター。

そしてギョロ目アイマスクなど、『探偵物語』にはたくさんのユニークな舞台装置が登場します。

その中でも特に印象深いのが、『工藤探偵事務所』が有る古いレンガ建て。

今でこそ、あの建物が神田にあった『同和病院』であることはよく知られています。

しかし、1996年に洋泉社映画秘宝『男泣きTVランド! 』で紹介されるまでは、まだ一般には知られていませんでした。

実はその『男泣きTVランド』が発刊される4年前、今から27年前の1992年8月に『工藤探偵事務所』のロケ地を探し当てた男がいます。

その男こそが、何を隠そう弊社KEN探偵事務所の所長(探偵になる前)です。

そして、『探偵物語』のロケ地が同和病院であることを、洋泉社映画秘宝のTさんに教えたのも所長でした。

太陽にほえろ!ジーパン刑事のファン

話しは46年前の1973年に遡ります。

当時小学校低学年だった所長は、優作氏が演じる『太陽にほえろ!(72~86年)』のジーパン刑事のファンでした。

それまで好きだった『仮面ライダー(71年)』、『日本沈没(73年)』の藤岡弘氏や、『飛び出せ青春(72年)』『アイアンキング(72年)』の石橋正次氏に相通じる、松田優作氏の野性的なカッコよさに魅了されたのです。

※ちなみに当時所長は仮面ライダー変身ベルトと、アイアンキングの飛び出す絵本も持っていました。

しかしその5ヵ月後、世界的カンフーブームを巻き起こしたブルース・リーの『燃えよドラゴン(73年)』が日本で公開されます。

『燃えよドラゴン』に衝撃を受けた所長は、ブルース・リーに熱狂。

優作氏も含め他のスターへの関心はフェードアウトしました。

75年には、松田優作・中村雅俊主演刑事ドラマ『俺たちの勲章』が放送されますが観ていませんでした。

所長は裏番組で、坂上二郎・石立鉄男らが主演の『夜明けの刑事(74~77年)』の方が好きでした。

77年に放送された、渡哲也・石原裕次郎・松田優作三大スター共演の『大都会PART2』も、リアルタイムでは観ていません。

しかし何故か、同年に放送され優作氏が元航空自衛官役で出演した『森村誠一シリーズ/腐食の構造』は観ていました。

劇中、渋谷駅前?で走行する車のドアに飛び着く、優作氏のアクションを見てかっこいいと思いました。

翌78年4月、ブルース・リー『死亡遊戯』が公開され大ヒットします。

当時小学六年生の所長は、同時期に公開されていた優作氏の『最も危険な遊戯』の立て看板を見て、「”遊戯”は死亡遊戯の真似じゃん」と思いました。

しかしその年の暮れ、銭湯の脱衣所に貼ってあった『殺人遊戯(78)』のポスターを見た時は、かっこいいと思ったそうです。

上半身裸で筋肉質の優作氏が、ブルース・リーっぽかったからでした。

松田優作 殺人遊戯

所長秘蔵の東映映画『殺人遊戯』ポスター

探偵物語でふたたび松田優作ファンに

翌年79年秋、『探偵物語』の放送が始まりますが所長は観ていませんでした。

前番組『大都会PART3』最終回で流れた、新番組『探偵物語』の予告編は見ていましたが興味が湧かなかったそうです。

ただしチャンネルを変えているとき、偶然、第3話『危険を買う男』の一場面を見たことがありました。

それは、この年春に『Gメン’75』を降板したばかりの藤木悠氏が、暴力団に建設現場の足場から落とされるシーンでした。

その後も、「タフに生きろ!見せかけの優しさはもういらない・・探偵物語」と言うナレーションが流れたあと、倍賞美津子さんの「探偵?知ってるわよ松田優作でしょ?ちょっとさ、イケんのよねあの男」というセリフが流れる番組CMも、台詞を覚えるくらいしょっちゅう目にしましたが本編は見ないまま。

同年暮れには、ジャッキー・チェン『スネーキーモンキー蛇拳(78)』と、松田優作『処刑遊戯(79年)』の二本立てを観に行きます。

この時も『蛇拳』目当てだったので、『処刑遊戯』は終わる頃に映画館に入り、優作氏が敵の手下、片桐竜次氏の首を折るあたりからしか見ませんでした。

所長が初めて『探偵物語』本編を観たのは、翌80年3月に放送された第23話『夕日に赤い血を』からです。

所長は、私立探偵工藤俊作のユーモアに富んだカッコよさに、すっかり魅了されました。

そして「1話から見とけばよかった」と後悔する所長。

気が付いたら、ふたたび松田優作氏の大ファンになっており、次回放送まで繰り返しこの『夕日に赤い血を』ビデオで見たそうです。

そのあと、『探偵物語』は4回で最終回を迎えますが、それから数か月後の平日夕方に再放送が始まりました。

所長は1話『聖女が街にやってきた!』から、毎日録画して台詞を覚えるほど繰り返し観ます。

その頃水曜ロードショーで放送された『蘇る金狼(79年)』や、東映の劇場で開催されたフィルムマラソン(貴重な映画をまとめてオールナイト上映)で『最も危険な遊戯』も観ました。

ちなみにこのとき『十三人の刺客(63年)』も上映され、監督の工藤栄一氏と志穂美悦子さんの舞台挨拶があったそうです。

この時、真田広之氏主演の『忍者武芸帳・百地三太夫(80)』の公開前だったので、同作に出演している志穂美悦子さんはPRのため来場したのだと思われます。

探偵 最も危険な遊戯

探偵物語で優作氏が着けていた、ギョロ目アイマスクと最も危険な遊戯のポスター(80年頃)

また『探偵物語』の主題歌『BADCITY』、エンディング『ロンリーマン』が収録されたSHOWGUNのアルバム『ローテーション』や、歌手松田優作氏のアルバム『TOUCH』も買って聴きました。

ふたたびトーンダウン

『探偵物語』で松田優作に熱狂した所長でしたが、『野獣死すべし(80年)』の後くらいからトーンダウン。

その頃アクションスターから演技派俳優に変わって行く優作氏が、以前のように輪郭のはっきりしたヒーローとはちがうように感じられたからでした。

『ヨコハマBJブルース(81年)』は、優作氏が歌う主題歌『ブラザーズソング』のレコードは買って聴いたものの、劇場には行きませんでした。

その後『陽炎座(81年)』も『家族ゲーム(83年)』も興味が湧くことなくスルー。

しかし偶然、『暴力教室(76年)』と『探偵物語(83年/角川映画)』は劇場で見ることになります。

なぜか地元では、81年時点で5年前の作品の『暴力教室』が、全国ロードーショー『ブルース・リー/死亡の塔(80年)』と同時上映されたからでした。

『探偵物語(83年)』は薬師丸ひろ子さん目当てで、たまたま相手役が優作氏だったからでした。

とは言え、その後も『春が来た(82年)』、『熱帯夜(83年)』、『追う男(86年)』などのドラマや、『ギャッツビー』や『焼酎トライアングル』などCMで優作氏を見ると、「オー!松田優作が出てる」といった調子で、好きな俳優の一人には変わりありませんでした。

『ブラックレイン』を観た2週間後に急逝

昭和天皇が崩御され平成の時代が始まった1989年の8月。

武術格闘技に打ち込む20代青年だった所長は、それまで住んでいた阿佐ヶ谷駅北口天沼のアパートから、東京都多摩市の聖蹟桜ヶ丘へ引越します。

当時聖跡桜ケ丘駅の京王アートマンには、『シネマックス』いう小さな映画館がありました。

このシネマックスは元東北新社の方が経営するシアターで、当時帝京大学を出て就職浪人をしていた、所長の悪友が受付でアルバイトをしていました。

そして10月7日、ハリウッド映画『ブラックレイン』が全国ロードショー公開され、このシネマックスでも上映されました。

公開前に雑誌の記事や、駅に貼られた『ブラックレイン』のポスターを見て、「松田優作が高倉健や安岡力也と一緒にハリウッド映画に出てる」と感激していた所長は、そのシネマックスで『ブラックレイン』を鑑賞しました。

所長が『ブラックレイン』を観てから2週間が過ぎた日の夜、シネマックス受付バイトの悪友から電話がかかってきました。

悪友「お前知っとるか?松田優作が死んだで」

所長「うっそおっー?」

悪友「何やお前は?身内か?」

急いでテレビを付けると、『ニュース23』で筑紫哲也氏が優作氏の訃報を伝えていました。

そして翌朝から、テレビのワイドショーは松田優作氏逝去一色に。

聖蹟桜ヶ丘駅京王アートマン一階の屋外掲示板に貼られた『ブラックレイン』のポスターには、「追悼松田優作」とマジックで書いた紙が貼られていました。

『探偵物語』の追悼放送でみたび優作ファンに

松田優作氏が亡くなってからすぐ、日本テレビが『探偵物語』の再放送を開始します。

中学生のときに録った『探偵物語』のビデオは、ほとんど消していたため(当時ビデオテープが高価だったため)、全話録画し直す所長。

改めて『探偵物語』を見直した所長は、すっかり中学生の頃のテンションに戻っていました。

そしてあるひとつの願望が芽生えます。

「工藤探偵事務所のロケ地に行きたい」

工藤探偵事務所をさがせ!

工藤探偵事務所のロケ地を探すため、所長はすぐに行動を起こします。

まず『探偵物語』のエンドクレジットに名があった日本テレビプロデューサー、山口剛さん(年齢も知らないし退職して居ないかもしれないのに)に聞けばわかると思い、日本テレビの代表電話に問合せました。

しかしコネも何もない、一般人の興味本位な問い合わせに応えてくれるはずもなく、電話口の女性社員に丁寧に断られました。

次に、探偵物語本編にヒントはないかとビデオをチェック。

そして手掛かりを見つけます。

それは、第6話「失踪者の影」の冒頭シーンに一瞬映る電柱街区表示板。

そこには「代々木1‐41」と表示されていました。

探偵物語 亜湖

※写真~『失踪者の影』冒頭シーン

依頼人役の女優亜湖さんが、その電柱手前の石柱?に貼ってある工藤探偵事務所のチラシを見た後、振り返って上の方を見あげます。

画面が切り替わた先には「工藤探偵事務所」のレンガ建てが。

探偵物語 ロケ地

「ここでまちがいない!」と確信する所長。

早速「代々木1‐41」へ行き、亜湖さんと同じ方向を見上げますがレンガ建ては見当たりません。

周辺を歩いて探したり聞込みをしましたが、結局見つからずじまい。

後にわかることですが、亜子さんがチラシを見て振り返るカット迄が代々木、レンガ建は神田で撮影しているので見つかる訳がないのでした。

その後も別のシーンをヒントに、渋谷や代々木や平河町を探すも見つけることはできないまま、翌90年に一旦捜索を中断。

それからしばらくして、所長は都内に就職し中野に引っ越すのでした。

ロケ地特定につながる有力情報をゲット

就職後、所長は仕事に追われ、探偵物語のロケ地を探す余裕の無いまま二年が過ぎました。

ところが急に転機が訪れます。

1992年8月、中野ブロードウェイの明屋書店で一冊の新刊を目にした所長。

それは『70年代ヒーロー読本』というタイトルで、特撮ヒーロー『アイアンキング(72年)』が表紙のムック本でした。

手に取ると、70年代ヒーローの一人として探偵物語工藤俊作のページが設けられていました。

そこには工藤探偵事務所の間取り図も載っていて、何とロケ地発見につながる有力なヒントが書かれていたのです。

「工藤探偵事務所のロケ地に使われた建物は”神田周辺の古い病院”」というヒントでした。

訂正~ 本のタイトルは所長の記憶違いで、正しくは『ノスタルジックTVグラフ: 愛と青春の60&70年代キャラクター(1992年)』でした。

表紙もアイアンキングではなくバットマンです。

失礼致しました。

スクーターで神田へ急行

”神田周辺の古い病院”と言うヒント。

「これでやっと見つかる!」所長はロケ地の特定を確信します。

このヒントに、所長が”ある情報”を加えて、”ある場所”で尋ねれば絶対見つかると思ったのです。

所長は当時、工藤探偵の愛車ベスパを意識して乗っていた、白のヤマハスクーターで中野から神田駅を目指しました。

ついに工藤探偵事務所を発見!

ある場所とは交番のことでした。

神田駅近くの交番で聞けば、ロケに使われた古い病院の場所がわかると思ったのです。

交番に着くと二人の警察官がいました。

所長「この辺にある古い”こげ茶色のレンガ建て”の”大きな病院を教えてください」と尋ねました。

警官「病院の名前は?」

所長「病院名はわからないです、ドラマの『探偵物語』の撮影に使われた古い”こげ茶色のレンガ建て”の病院です」

その三十代の警官は、『探偵物語』の撮影といっても反応しませんでした。

警官「名前がわからないとね、この辺に古い病院はいっぱいあるし」

所長「”こげ茶色のレンガ建て”の古い大きな病院なんですけどね」

すると、もう一人の中年警官が「同和病院かな?でもそれは靖国通りの向こうだよ」と言いました。

その瞬間、探偵物語のオープニングで工藤探偵事務所の向こうに見える、車道を思い浮かべる所長。

「あの車道が靖国通りだ!」と確信した所長は「それです!」と声を張りました。

探偵物語オープニング

※写真~オープニングより。中央に見える車道が靖国通り

ちなみに前項で書いた、ある情報を加えての”ある情報”とは”古いこげ茶色のレンガ建て”と言う情報でした。

このフレーズを繰り返したことで、中年警官が同和病院のことだと気付いてくれたのです。

所長は、警官から聞いた同和病院の場所へスクーターを走らせます。

そして靖国通りを横断して道に入った先に、ドラマで見た”工藤探偵事務所”の外観が見えました。

撮影から13年後の工藤探偵事務所

探偵物語 ロケ地

1979年『探偵物語』本編映像。

屋上にある『貸ホール』の看板は、撮影用に同和病院の看板の上に張り付けられたものです。

同和病院看板は下の写真で確認できます。

探偵物語 同和病院1

この1992年時点では、後に張られる外壁剥落防止ネットはまだ無くドラマと同じ外観でした。

ただし手前の酒屋さんは白くリフォーム?されていました。

12話『誘拐』のザルがまだあった

探偵 同和病院裏側

工藤探偵が出入りしていた同和病院の裏口(1979年当時)

ドラマではここが建物玄関のように描かれています。

画面右端のざると窓板に注目ください。

探偵物語裏口

このとき1979年の撮影から、すでに13年経過していましたが同じザルが置いてありました。

窓板はブルーに塗り替えられています。

工藤探偵事務所とテラスの階段

探偵物語 同和病院 外観

テレビで見た工藤探偵事務所のペントハウスが圧巻。

 

工藤探偵事務所の前

松田優作氏が出入りした緑色のドアの前に立つ所長。

 

探偵物語 成田三樹夫 山西道弘

工藤「人間てのはさ、何かこうあの、冗談か本気かわかんないギリギリところで生きてるんじゃないのかしら」

 

探偵物語 同和病院屋上

成田三樹夫氏・山西道広氏とのシーンが撮影されたテラス。

 

探偵 玄関

 

 

同和病院 通路

反対側からのショット。

工藤探偵事務所の中は第三話『危険を買う男』の〇〇〇だった!

探偵物語 ドア開閉

工藤探偵事務所の入り口ドア。

工藤探偵事務所のドア

工藤探偵事務所ドアの前に立つ所長。

ドラマではこのドアの中が探偵事務所になっています。

もちろん、あれはセットで実際は事務所ではありません。

ではこのペントハウスの中は何だったのでしょうか?

上の写真をよく見ると、緑色のドアが半開きになっているのがわかると思います。

所長が訪れた1992年の時点で、このドアは蝶番が錆びついて壊れており、半開きのまま開閉できない状態でした。

このとき、同和病院の年配の関係者の方に話しを訊くと、「(この建物は)戦前、満州事変の頃建てられたから古い」と言っていました。

所長が可能な限りドアを開けて、中を覗き込むと物が積み上げられていて行き止まりでした。

使わなくなった棚や椅子、板や段ボール箱などが相当数積まれていて中に入ることは不可能な状態。

しかし、その積み上げられた荷物の隙間をよく見ると、急に見通しが良くなり奥の方に舞台が見えました。

何とそこはホールだったのです。

所長はその舞台に見覚えがありました。

第3話『危険を買う男』で工藤探偵がヤクザと戦ったあの舞台でした。

探偵 ホール

工藤探偵がホールで戦う場面。

これで、屋上の看板を『貸ホール』にした理由がわかりました。

屋上にある『同和病院』の看板を隠す為に架空表示をする際、ペントハウス内部がホールということを知ったスタッフが『貸ホール』にしたのだと思います。

元々このレンガ建ては同和病院ではなく、『東京医師会館』として建てられ、医師の社交場として利用されていたそうです。

だから建設するとき、ペントハウスにホールを作ったのでしょう。

セレブな医師たちが、ここで演劇やピアノコンサート、社交ダンスを楽しんでいたのではないしょうか。

同和ビルと同和クリニックは松田優作氏の謝意かユーモア?

探偵 雑居ビル

これは、『探偵物語』劇中登場するテナントのネームプレート。

もちろん架空の店舗ばかりですが、一番上の緑のプレートは『同和ビル』となっています。

劇中台詞としては出てきませんが、工藤探偵事務所が入っているこの建物が『同和ビル』という設定だったことがわかります。

そして、下の方には『同和クリニック』のネームプレートも。

探偵 同和クリニック

実際のロケ地『同和病院』をもじった、『同和ビル』と『同和クリニック(病院)』。

なぜ、このような設定にしたのか?

これはあくまでも所長の推論ですが、撮影協力してくれた同和病院に対する松田優作氏・探偵物語スタッフの謝意ではないでしょうか?

制作側は、同和病院の名を『貸しホール』の看板で隠して視聴者にわからないようにしていました。

それは、視聴者に知られてファンが見に来れば、病院に迷惑がかかると考えたからでしょう。

そのためでしょうか、撮影協力のクレジットもありません(当時のドラマは大抵そうですが)。

しかし、同和病院が『探偵物語』に撮影協力してくれた足跡を残すため、小道具に『同和ビル』と『同和クリニック』のプレートを入れたのだと思います。

それと、松田優作氏特有のユーモアもあると思います。

松田優作氏は探偵物語の劇中で、

「東映芸能ビデオ?関係ない(探偵物語の制作会社)」

「仙元ホール?ああ、あそこはな卑猥すぎて溜まってんだよ(撮影の仙元誠三氏)」

「野獣死すべし?(文庫本を手にして)今度やらないといけないんだよな」など、

よく実際の関係先や関係者の名前をアドリブで入れています。

『同和ビル』と『同和クリニック』のプレートもその延長なのでは?

映画秘宝『男泣きTVランド』にロケ地、同和病院の情報を提供!

1992年は日本で初めてインターネットプロバイダーサービスが始まった年で、まだ全然ネットは普及していませんでした。

今のように誰もがネットで情報発信できる時代ではなかったため、所長が見つけ出した”探偵物語ロケ地同和病院の情報”も、世間に出回ることはありませんでした。

しかし、それから三年後その情報が世に向けて歩きはじめます。

ブルース・リー×松田優作=探偵物語ロケ地

探偵ブルース・リーコレクション

1995年8月31日、当時所長が住んでいた練馬区のアパートに、洋泉社のTさんとカメラマンが来ました。

映画秘宝『ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進』の取材のためです。

先に少し触れましたが、所長はブルース・リーの大ファンでこの本にコレクションを提供しています。

取材の途中に少しだけ松田優作の話題になりました。

所長「この『燃えよドラゴン』のリーの表情が松田優作に似てるんですよ、私、松田優作も好きなんですよ」

Tさん「そうなんですか?ブルース・リーの次は松田優作の本を出すんですよ」

所長「ほんとですか?それなら『太陽にほえろ!』でジーパンが登場したのいつか知ってます?1973年7月20日ブルース・リーが亡くなった日なんですよ」

Tさん「えっ、そうなんですか?それは凄い情報だ」

Tさんはメモを取っていました。

映画秘宝『男泣きTVランド』でファンの聖地に

映画秘宝の取材から一週間後の9月7日、所長は洋泉社映画秘宝のTさんに電話しました。

それは、取材の時に言いそびれた事を知らせるためです。

言うまでもなく、『探偵物語』の工藤探偵事務所ロケ地『同和病院』の事でした。

所長「工藤探偵事務所としてロケに使われたレンガ建てがどこか知ってます?」

Tさん「いえ、知りません」

所長「あれは神田の近くにある『同和病院』です」

Tさん「えっ、そうなんですか?私そこに入院したことあります」

なんと奇遇にもTさんは、同和病院に入院したことがあると言いました。

しかし、そこがロケ地ということは知りませんでした。

でもTさんが気が付かなかったのも無理はありません。

なぜならば、ドラマで映るのは主に建物の裏側。

一度側面が写ったことはありますが、病院の正面玄関は一度も映ったことがなかったからです。

立地的にも裏口を利用する患者さんは少ないでしょうし、よほど熱心な探偵物語ファンでなければ、入院しても気付かないと思います。

話を戻します。

所長「今度の松田優作本に(同和病院のことを)載せてください」

Tさん「必ず載せます、情報ありがとうございました」

そして翌年の1996年、映画秘宝『男泣きTVランド』が発売。

松田優作の項目に、ライターさんの文章として、「工藤探偵事務所のロケ地は同和病院」という情報が載りました。

所長の情報が『男泣きTVランド』に載ったことで、同和病院のことは瞬く間に間に広まりました。

そして、1998年に建物が解体されるまで、聖地として多くの松田優作ファンが訪れることになるのでした。

探偵洋泉社95日記

※洋泉社Tさんに情報提供したことを記した、1995年9月7日の日記。

『男泣きTVランド』には、ブルース・リー取材のとき所長が映画秘宝Tさんに教えた、「ジーパン刑事登場」と「ブルース・リー急逝日」が、同じ日(1973年7月20日)という情報もライターさんの文章として書かれています。

探偵の不思議な偶然

1929年に建てられた同和病院の建物は、1998年に老朽化のため解体されました。

※病院自体は『明和病院』と名前を変え近所に移転。

その翌年1999年に所長は独立して『KEN探偵事務所』を創業。

翌2000年、所長は多磨霊園へ松田優作氏の墓参りに行きました。

探偵になるきっかけを作って頂いたことへの感謝と、哀悼の誠を捧げました。

松田優作氏の墓参り

同和病院、松田優作、探偵物語、KEN探偵事務所を年表にすると末尾が『9』の年。

1929年:同和病院竣工

1949年:松田優作誕生

1979年:探偵物語放送

1989年:松田優作逝去

1999年:KEN探偵事務所創業

2019年:探偵物語40周年、松田優作没後30年、KEN探偵事務所創業20周年

不思議な偶然を感じます。

実は、松田優作氏『探偵物語』と所長の不思議な偶然は、ほかにもあります。

それはまたの機会にお話しすることにしましょう。